中国人船長処分保留で釈放へ「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」良く知られている文言である。この中の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」とは何なのか、と思わざるを得ない。人間関係で摩擦を少なくする簡単な方法に、何でも相手の言うことを聞く、というのがある。これは対等な人間関係ではなく、隷属の人間関係とも言える。衝突を恐れるあまり、当然有すべき権利すら放棄し、相手に頭を下げ続けるNHKマイルカップのである。平和裏に解決したと見ることも出来るが、これは譲歩した以外に小生には見えないのである。先ほど述べたように摩擦を少なくするには、相手の言うことを聞く、まり譲歩することであると書いたが、これで丸く収まると考えているのだろうか、それともまだ「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」を信じているのであろうか。「第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」一部では毎日唱えたり、書き写したりして、その都度平和への願いを新たにしておられる人々もいるようであるが、この言葉が果たして対外的に力を持っているのだろうか。ちょっとした圧力をかけられれば、我々は何でも「はいはい、そのとーり」と聞くような存在なのであろうか。一年前、このヴィクトリアマイル 2011ような事態に陥る桜花賞ことを、いや、そのずっと前からこのようなことになることを全く考えてなかったのだろうか。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」を文言通りに日本が守っていないから、信用されておらず、このような事態に陥ったと言えるのだろうか。ミュンヘン会談でのチェンバレンを非難することはできないであろう。どんどんと譲歩するのであろう。竹島、北方四島挙句の果ては対馬や沖縄まで。鈍感なのか、必要以上のスリルを味わいたいのか、不幸にしてそのどちらも併せ持っておるのかは知らぬが、TVでは、あいも変わらず、お笑いとクイズ、この問題に直面しているであろう人々は内輪のゴタゴタ、威勢のいい人々は拳を振り上げ、逆のベクトルの人々は旗を振り回し、そして多くの人々が関心を持たず、放置されたガンが手遅れの状態になるまで放置するのであろう。かくして、振り上げる拳を縛りけ、上辺の事なかれを貫き、それによる不利益の責任を誰一人取ることなく(為政者を選ぶのは国民である。よって、国民は現在の政治の犠牲者ではなく、それを選んだ結果として様々なことが降りかかるのである。)、可愛そうな被害者、争いをさける良い人でいたいのであろう。自分は地球市民だから、こんな領土などの些細なことは気にしない、と全国民が思えれば幸せかも知れぬが、パスポートなり、公的な証書の類の国籍欄に「地球市民」と記入してそれがまかり通るか、どうかは言うまでも無いことであるが。今一度、国家とは、国民とは、民主主義とは、独立とは、と初歩から考え直していく必要が有るようである。小生も含めて。